第二話 暗天と純天−前編−

 デュンクは妙に苛立っていた。全てはあの娘が来てから変わった。
 ぎんは、しろがねが何をするにしてもくっついている。それこそ用を足しにいくとき以外全て、だ。
 これは嫉妬であることに、デュンク自身気付いていた。しかし気付いていても感情は制御できるものではない。
(あの仔狐め・・・)
 自然と外にいる時間が長くなった。何かと理由をつけては外に出る。今も、町の郊外で養豚業を営む神狼族、くろがねの養豚場でアルバイトをしている。
「そんなに姉を取られたのが悔しいか?」
 一通りの仕事を終え、木陰で休んでいると、突然くろがねが言った。
「俺も昨日あの娘に会ったが、片時もしろがねの傍を離れようとはしなかったな」
 デュンクは口を開かない。この男はいつも人の考えを見透かしてしまう。
「しかし、それも今のうちだけだ。お前とて、幼いころにはしろがねに甘えてばかりだっただろう? 彼女も、成長していく。今のお前のように、自立を目指すときが来る」
 デュンクは顔を上げ、しろがねの横顔を見上げた。
「まさか、俺が効果器免許取ろうとしてるの気付いてたのか?」
「最近仕事を手伝う回数が増えたからな。試験の受験料くらいは自分で稼ぐつもりだったのだろう?」
 デュンクは遣る瀬無いような、それでいて何処かほっとしたような笑みを浮かべた。
「兄貴には、本当に隠し事はできねーな」
「別に隠す必要はない。お前が免許を取れば職にも就きやすい。それはしろがねのためにもなるのだから」
「そだな」
 デュンクは寝転がって木々の合間の空を見上げた。
「俺、ちょっと翔んでくるわ」
「今日は突風が吹きそうだ。気をつけろよ」
 デュンクは片手を上げてそれに応じると、二対の翼で空気を叩き、空へ舞い上がった。

 ぎんを森の中で見つけた後、しろがねは彼女の暮らしていた親戚夫婦の家を訪ねた。単刀直入にぎんを引き取りたいという旨を伝えると神狐族の夫婦は、口では申し訳ないなどと言いながらも、内心安堵しているのがありありと感じられた。そう時間はかけずに、ぎんをしろがねが引き取ることを承諾したのだった。
 デュンクは口には出さなかったが、内心は嫌だった。理由はくろがねの指摘通りである。
 ぎんが幼い頃はよく遊んだが、成長していくにつれ彼女をだんだんと避けるようになっていった。理由は今ではもう忘れてしまった。デュンクが避けるようになってからは、ぎんの相手はしろがねだけになった。

 翔ぶにはよい日だ、とデュンクは思った。風はやや強いが、日差しは暖かく、湿度も低い。翔んでいる間は、いろいろと悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思える。
 眼下の町並みを見下ろす。決してにぎやかではないが、彼にとっては生まれ育ち、住みなれた町。
 遠く町の外に目を向ければ、東と南に森が位置し、北に突き出た半島の海岸線をなぞるように風力発電用の風車(有翼者の巻き込み防止のため、金網で覆われているために見た目は巨大な扇風機だ)が並んでいる。
 再び町に目を戻すと、町外れの丘に、一軒の白い家がある。今までは見過ごしていたが、よくよく見てみると、ただ一軒、ぽつんと離れて立っている。
 何故かデュンクはその家に興味を持った。体を傾け、旋回してその家のほうへ向かう。
 その家の上空10mほどまで高度を下げたときだった。突如、体が右に流される。
(突風・・・!)
 風に流されまいと必死に翼に力を込める。すると、ふいに風がやんだ。
 まずい、と思ったときにはデュンクの体は大きくバランスを崩していた。地面が凄まじい速度で迫ってくる。
「くっ・・・おおおおおぉぉぉぉぉっっっっっ!!!!!」
 二枚の翼を大きく広げ、落下速度を和らげる。と同時に残る二枚の翼を羽ばたき、姿勢の立て直しを図る。
すたっ・・・
 無事に地面に着地すると同時に、デュンクはその場にうつぶせに寝転がる。心身ともにかなりの疲労だ。
「大丈夫ですか?」
 突如、鈴を転がすような可憐な声が聞こえる。声のした方向に視線をやると、白いワンピースを着た、銀髪の少女が見えた。歳はデュンクと同じくらいだろうか。
「ああ、悪いけど少しここで休ませてもらえるか? 疲れた」
 少女は微笑んだ。見るものの心を癒すような微笑。
「今お茶を淹れてきますから」
 少女は踵を返すと、白い家の方へ歩いていく。その背中には、左側だけに生えた白い翼が見えた。
(ああ、そうか。あの娘(こ)は、翔ぶことができないんだ・・・)

 少女の淹れてくれた茶を飲み干し、デュンクはようやく生き返った心地がした。
「ご馳走様」
「お粗末さまです。・・・でも、本当に驚きました。あのまま落ちてくるんじゃないかって」
 デュンクは自嘲するような笑みを浮かべる。
「突風が吹くかもって言われてたのにあのザマだ・・・まだまだだな」
 少女は少し困ったような表情をする。
「でも、空を飛べるんですよね・・・」
「あ・・・君は・・・」
 デュンクが表情を曇らせたのを見て、少女は取り繕うように笑顔を見せる。
「あっ、気にしないでください。そんなに悩んでいるわけじゃありませんから。でも・・・」
 少女は空を見上げる。その表情は寂しげで、デュンクの胸を締め付ける。
「やっぱり、飛びたいです」
 少女はふとデュンクに視線を戻すと、慌てて場を取り繕う。
「ごめんなさい、自己紹介がまだでしたね。私は純天(ライン・エンゲル)っていいます」
「俺は暗天だ」
「デュンケルさん・・・ですか」
「デュンクでいい。姉もそう呼んでる」
 純天はわずかに戸惑うような表情を覗かせ、そして微笑む。
「私、人を愛称・・・って言っていいんですよね。その、愛称で呼んだことないんです。だから、ちょっと戸惑っちゃって・・・よろしければ、私のことも何か愛称で呼んでもらえませんか?」
 デュンクは戸惑いを感じた。この少女には、愛称で呼んでくれるような友人はいないのだろうか。
「親は、何て呼んでる? それとも、俺みたいに親はいないのか?」
「両親は、ラインって呼んでいます。二人が色々考えてつけてくれた名前だから、とても好きなんですけど、私、友達に愛称で呼んでもらったことないんです」
 純天は寂しげに空を見上げる。
「やっぱり、私が空を飛べないから、本当の友達とは思われてないのかな・・・」
「そんなことねぇだろ」
 突然のデュンクの激しい口調に驚いて顔を上げる純天。
「神天なのに、空を飛べないことは友達じゃない理由にはならない。神狐だって足の遅いやつはいるし、神熊だって腕力のないやつはいる」
 デュンクは一旦言葉を切る。純天の表情は敢えて見ない。見るのが怖いのだ。
「空を飛べないからって、自分で距離置いてるんじゃないのか?」
 純天はしばし無言。デュンクは、先程茶を飲んだばかりなのにひどい喉の渇きを感じていた。勢いだけで言ってしまった。彼女が怒りだしても、泣き出しても全て自分の所為だ。
「そこまで厳しい事言われたの、初めてです」
 デュンクは恐る恐る純天の表情を伺う。彼女は目尻に涙を湛えながらも、笑っていた。
「他の人たちは、私を壊れ物でも扱うみたいに接していますから。でも、相手のためなら厳しいことでも言えるのが本当の友達ですよね・・・」
 純天はぽろぽろと涙をこぼす。
「泣くなよ、純(じゅん)」
「え?」
「愛称で呼んでほしかったんだろ? 俺、そんなに頭よくねーからいい愛称思い浮かばなかったけど・・・」
 デュンクは申し訳なさそうに頭を下げる。
「そんなことないです。嬉しいです。だから、私もデュンクって呼びます」
 「純」は涙を払いながら、今までで一番の笑顔を見せる。この日、デュンクの脳裏に焼きついて離れなかったのは彼女のこの笑顔だった。

 『デュンクが変わった』、しろがねはそう思った。
 今まではぎんが視界に入るだけで、あからさまに不機嫌な表情を見せていたが、それがなくなった。仲がいいとはお世辞にもいえないが、以前のような明確な敵意はない。
 そのため、休日の今日、彼女は島の外れに住む親戚の家へ行くときにも、安心してデュンクとぎんに留守を任せることができる。
「デュンちゃん、いいことあった? 最近嬉しそう」
 畑に水を撒くスプリンクラーの詮を閉めるデュンクの背中に、ぎんが話しかける。以前のデュンクの態度では、ぎんは自分から近付くことさえしなかった。
「別に。それより、その呼び方やめろって言っただろう?」
「や。デュンちゃんだもん」
 デュンクはは拳を握り締め、怒りの表情で振り返る。しかし、ぎんの姿は一瞬で土煙の遥か彼方に消えた。
「仔狐め・・・」
 デュンクはふと空を見上げる。
(早く姉帰ってこないかな・・・そうすりゃ・・・)
 と、純の笑顔が浮かぶ。
「うわ・・・」
 デュンクは、ことあるごとに純のことを考えている自分に気付き、気恥ずかしさを感じた。
 しろがねが作っておいた昼食を、デュンクとぎんが二人で食べていると、突然玄関から明るい、脳天気とも思える女の声が聞こえてきた。
「しろがねー! メシ喰わせー!」
 その声の主は無遠慮にダイニングまで入ってくる。
「勝手に入ってくるな、馬鹿」
「いーじゃん。知らない仲じゃないし」
 女の名は静虎天(スティレ・ティーガー・エンゲル)−シズカ。しろがねの友人で、ブラウと同じく教師をしている。金髪碧眼で、黒と金の入り混じった一対の翼を背にもち、耳は神虎族のそれという、神虎族と神天族の混血だ。明るい見た目通り、細かいことは気にしない性格で、「馬鹿」と言われたことは気にしていないらしい。
「何しに来たんだよ? 姉ならいないぞ」
「そなの? でもメシはあるよね? あんたら喰ってんだし」
「お前に喰わす分はない。この仔狐が恐ろしく燃費悪いからな」
 と言っている間にも、ぎんは五つ目の肉詰めパンを胃に収め、四杯目のスープをおかわりしていた。
「相変わらず喰うわね、ぎん。それで肥らないってのはうらやましい体よねー」
「先生は食べてすぐ寝るから・・・おやつ必ず食べるし・・・また、体重増えたの?」
 かなり痛いところを突かれたらしく、シズカは石化した。
「で、シズカ、何の用だ? 姉ならあと1時間くらいで戻ってくるぞ」
 一瞬で石化から回復したシズカはびしっと食卓を指差す。
「メシ喰わしてもらうのが第一目的! ついでであんたに話があったの」
 デュンクはうんざりとした表情になる。
「俺はメシのついでかよ・・・。で、話って何だよ」
「まあ、まずはメシ!」
 そこに、ぎんの申し訳なさそうな声が割り込む。
「先生ごめん。全部食べちゃった」

 1時間弱ほどして戻ってきたしろがねは、リビングのソファーでタレているシズカを発見し、再び食事の用意をすることになった。
「で、話ってのは何だ?」
 デュンクはブラックのコーヒーをすすりながら、一時間前と同じ言葉を吐く。
「もぎゅもぎゅ・・・純天、知ってるよね?」
 思わずコーヒーを噴き出しそうになるデュンク。
「・・・期待以上の反応してくれたわね」
「何でお前が純のこと知ってるんだ!?」
 「純」という呼称を聞き、シズカは背もたれにふんぞり返りつつ、「ふふーん」と何かに納得した。
「彼女、私の教え子だったの。この前たまたま会ってね、新しい友達ができたって嬉しそうに言うのよ。名前聞いたらデュンクっていうじゃない。これは冷やかしに来るのが私の使命だと思ってね」
「安い上に低俗な使命だな・・・」
 デュンクはうんざりといった表情でコーヒーを一口含む。やけに苦く感じる。
 純がシズカの教え子とは考えもしなかった。よくよく考えれば、この町に学校は一つしかないのだから、シズカの教え子だったとしても不思議はない。デュンクは学校に通っていなかった(在籍だけはしていた)ため、考えが及ばなかった。
「デュンク、『純』って誰?」
「誰?」
 しろがねの問いを、ぎんも真似して二人で興味津々といった表情で見つめてくる。デュンクはたじろぎつつ
「最近できた友達だよ」
 とだけ言った。
「友達? どうだか」
 デュンクは、悪戯好きの猫のようなシズカの表情を睨み付ける。
「他に何かあるのかよ?」
「彼女、とか?」
 デュンクは今度こそコーヒーを噴き出し、すかさずぎんが雑巾を顔に投げつける。デュンクはテーブルを拭きつつ、シズカを刺し殺さんばかりの視線で睨んだ。
「あ・・・ごめん。ちょっと悪乗りしすぎたかも」
 シズカが一応は謝罪したことで、デュンクは視線から殺意を取り除く。
 シズカは伏目がちに、いつもとはまったく違う雰囲気で言葉を紡いだ。
「デュンク、私が本当に言いたいことは一つだけ。ラインを大切にしてあげて。あの娘(こ)が私に友達のことを話すのなんて初めてだから」
「言われるまでもない」
 言葉はぶっきらぼうだが、デュンクの表情は穏やかだった。

 デュンクは歩いていた。飛翔速度に優れた二対の細翼を使わず、彼が歩くのは実にまれなことである。『その』目的地へ行くまでに、何人もの知り合いに声をかけられた。
 曰く、「飛びすぎで翼がつったか」「今のうちに洗濯物取り込まないと土砂降りになるよ」等々…。それほどまでに彼は飛んでいることが多かった。
 飛ぶことは気持ちいい。しかし、一人きりである。このように知り合いに声をかけられることは極端に少ない。ましてや翼無き者に話しかけられることなどあり得ない。
 たまには歩くのもいいものだ、と彼は思う。
 彼の目的地−丘の上の白い家には、当然彼女がいた。
「こんにちは。デュンク」
「よう、また来たよ。純」
 純は木陰に座って本を読んでいた。
「何の本だ?」
 とデュンクは覗き込んで沈黙する。そこには漢字のみが列を成していた。
「白楽天の漢詩です。よかったら読んで見ますか?」
 デュンクは激しく頭を左右に振る。純が少し寂しそうな表情をしたのを見て、少々罪悪感を覚えるが、それでも漢文は二度と読みたくない。
「まあ、また今度、気が向いたら」
「はい・・・」
 しばしの沈黙。
 沈黙を破ったのはデュンクだった。
「お前、シズカの生徒だったんだな」
 シズカの名が出た途端、純の羽根の一本一本が逆立ち、一気に顔が赤くなる。
「えっ!? ああぅ・・・あの、シズカ先生とお知り合いで?」
 純の態度が気にはなるが、デュンクはあえて問わないことにした。何故か、多分正直には答えないと思ったからだ。
「ああ。よくうちにメシをたかりに来る。今日も来て、純のこと言ってた」
「あ、あの、全部聞いたんですかっ!?」
 純はひどく焦っている。答えによっては失神してしまいそうだ。
「全部って何だ?」
「いえ、あの、その・・・聞いてないならいいんですけど・・・」
 純はうつむき、何かごにょごにょと呟いている。
「純さ、俺のこと『新しい友達』って言ってくれたらしいな。結構嬉しかった」
「あ、はい・・・」
 純はまだ赤面している。熱でもあるのかとデュンクは心配になってきた。
「お前、具合でも悪いの?」
「いえっ、何ともないです!」
「にしちゃ、やけに顔が・・・」
「何でもないです!」
 本人が言う以上、大丈夫なのだろうとデュンクはそれ以上言うのをやめた。

 しろがねはくろがねの家の敷地に降り立った。豚の匂いが体を包む。
 くろがねは堆肥舎で、豚の糞尿を発酵させた堆肥を麻袋に詰めていた。
「こんにちは」
「ああ、ちょっと待っててくれ」
 くろがねは手早く麻袋の口を縄で縛り、詰め終わった袋を積み上げた。
「ごめんね、忙しいのに」
「構わない。ちょうど休憩しようと思っていたところだ」
 母屋に移動し、くろがねは二人分コーヒーを点てた。
「最近、デュンクはどう?」
「よくやってくれている。このまま正式に雇いたいくらいだ」
 くろがねは煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出す。
「最近いい友達ができたみたい。まだ会ったことはないけど」
「らしいな。いいことだ」
 くろがねは言葉遣いこそ素っ気無いが、人間関係を大切にしている。最近デュンクが仕事の面で成長していることも喜ばしいことではあるが、新しい友人ができたことの方が、兄のように接してきた彼としては嬉しい。
「でも、どうして女の子の友達ってことを隠してたのかな?」
「男は皆そういうものだ。特にあの年頃はな」
 しろがねは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「くろがねもそうだったの?」
 くろがねは答えず、ただ紫煙を燻らせている。しろがねは小さく笑った。

 くろがねの養豚場で仕事をし、シャワーを浴びて純の家へ、というのがデュンクの日課になっていた。
 今日も純は木陰で読書をしていた。
「親、二人とも働いてるのか?」
 デュンクがここに来るようになってから一週間ほど経つが、一度も純の親を見たことがない。
「はい。二人とも発電所で働いています」
 成程、この町外れの丘は風力発電所に近い。飛べば数分、歩いても十分程度の距離だ。
「じゃあ、昼間は一人か」
「ええ。午前中に洗濯や掃除をして、午後はいつもこうして木陰にいるんです」
 私のお気に入りの場所です、と付け加える。
「あまり町には下りないのか?」
「そうですね。買い物も親が仕事の帰りに済ませてきますから」
 暗天は、ぐずぐずと煮え切らない躊躇を断ち切り、思い切って切り出した。
「町、行かないか?」
 純は本から顔を上げた。驚きに喜びを含んだ表情だ。しかし、かすかな不安の色も見える
「いいんですか?」
「何が?」
「・・・私と一緒で」
 デュンクは立ち上がり、純の手を取って立たせる。
「一緒に行きたいんだよ」
 言ってから恥ずかしさがこみ上げてきて、デュンクは視線をそらす。純はデュンクの手を握り返し、
「戸締りしてきます」
 と言った。

 二人は町まで歩いた。途中色々と話をしながらだったが、純は終始笑顔だった。
 帽子がほしいという純の希望により、二人は洋品店に入った。店番をしていた神兎族(しんとぞく)の女店主は、デュンクが純を連れていることに驚き、これを広く知らしめることこそ自分の使命であると密かに奮い立った。
「よく似合ってる」
「わ、嬉しいです」
 その白いつば付きの帽子の代金はデュンクが支払い、二人は店を出た。デュンクは、店主がやけに愛想が良かったのが気になっていた。
「申し訳ないです・・・」
「いいんだよ、俺が払いたかったんだから」
 純は恐縮しながらも、「ありがとうございます」と言った。
 町中を当てもなく歩き、二人はカフェで休むことにした。
「疲れた?」
「いいえ、全然。楽しいと、疲れないものなんですね」
 純は花のように微笑した。
 結局二人が丘の上に戻ったのは、夕日が赤く照らす頃だった。
「今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました」
「うん、俺も楽しかった・・・」
 楽しかったといいながらも、暗天の表情には影がある。
「どうかしたんですか?」
「ん・・・」
 デュンクは俯き気味のまま言葉を紡ぎだす。
「しばらく、会えないんだと思ったら、何か・・・」
「え? それは、どういう・・・」
 純の表情が示すものは、不安。
「効果器免許取りにいく。非限定三種だから一月はかかる」
 純はほっと表情を和ませた。
「びっくりしました。一月経ったら、また会えるんですね」
「まあ、そうだけど」
「しばらく、なんて言うからこの町を出て行くのかと思っちゃいました」
 デュンクは戸惑いを隠しきれない。純に寂しい様子はない。自分は純にとってその程度の存在なのか。と、そこまで考えて、自分の考えていること自体に恥ずかしさを覚える。
 純は左の小指を差し出した。
「帰ってきたら、また町へ遊びに連れて行ってくれるって約束して下さい。それで私は我慢できますから」
 デュンクははっと顔を上げ、正面から純の顔を見た。彼女の眼には、涙が溢れていた。
「・・・泣くなよ」
「はい・・・」
 デュンクは自分の小指をそっと純の小指に絡ませた。
「また、一緒に町へ遊びに行く。約束する」
「約束破ったら針十万本飲んで下さい」
「・・・随分増量したな」
「増量サービス中です」
 ゆっくりと、小指が離れる。
「じゃあ、またな」
「はい、またです」
 手を振りながら何度も振り返り、デュンクは丘を下った。純は彼の姿が見えなくなるまで手を振っていた。


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