第二話 暗天と純天−後編−

 一ヶ月と一週間が過ぎた。デュンクは島へ帰る船に揺られていた(とはいえ超伝導推進なので実際に揺れはほとんどない)。
 一ヶ月丁度で免許取得の予定が、一週間オーバーしてしまった。滞在費と余計にかかった試験料はかなり痛い出費だ。
 しかし、大きな達成感はある。そして、彼が得たもう一つのもの、それは彼の腕の中に抱えられていた。
 デュンクたちの父が使っていた座標打点式非限定効果逆曲刀『黙示録壱式』。父の死後、使用者不在のため、効果器免許委員会によって特殊な封印が施されていたが、その封印を解かれ、デュンクが正式な使用者として登録された。
 効果器は、彼らの生活の中で日常的に使用されている便利な道具ではあるが、同時に強力な武器でもあるため、所持には政府の免許と、使用者の登録が必要となるのだ。
 厳しい訓練と試験を乗り越え、手にした「力」。思わず顔がニヤけそうになるが、周囲の乗客の目があるので表情を無理にでも引き締める。
 そのときだった。
 突然の轟音とともに、揺れないはずの船が大きく傾いだ。一瞬遅れて船内には悲鳴が木霊する。
「なっ・・・!」
 とっさに立ち上がり、混乱する乗客たちを掻き分け、屋上のデッキへ上がる。船は停止し、左舷から黒い煙が上がっていた。
「神無人過激派の仕掛けた回遊機雷だ。仕掛けた輩は、そう遠くない場所にいるだろうな。そして、近づいてきている」
 デュンクよりも先にデッキに上がっていた男が言った。淡茶の髪に瑠璃の瞳の男の背には、蒼い三対の翼。一瞬、姉の友人で教師をしているブラウと面影が重なるが、別人だ。身長ほどもある、先端に十字架を付けた杖(恐らくは効果器だろう)を携えている。その傍らには、彼の連れであろう神兎族の女性。長い黒髪を海風に揺らし、臙脂色のコートに身を包んでいる。
「戦果を確認しに来るってことか・・・」
 神有人が地球に移民して60年。60年前に戦争を仕掛け、大敗を喫した地球人=神無の中には、未だに神宿を侵略者として敵視している者たちもいる。
 彼らの攻撃は無差別で、神宿というだけで攻撃対象となる。効果器が武器としての用途を備えているのは、自衛手段のためなのだ。
「そして、未だ撃沈できていなければ、その目的を果たすために」
 男はすうっと目を細めた。
「来る・・・お前も感じるだろう? 風の要素に、どす黒い『死』の要素が混じり始めた」
 デュンクが男のいう感覚を捉えきれないでいると、デッキの乗客を客室に戻そうとする船員が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「危険ですので客室に戻ってください! 不審な船が接近しています!」
 男は、乗客と同じように混乱している船員に向かって、落ち着き払った様子で言う。
「今から迎撃する。私が飛び立った後、乗客にも協力を仰いで船全体を空間固定防御するのだ。先程の爆発で機関が死んでいるようだが、効果器で重力制御すれば何とか動けるだろう」
 船員は絶句した。当然だろう。技術的に劣っているとはいえ、相手は恐らく武装した船だ。効果器を持っていようとも、一人の力でどうにかなるものではない。
「勝てる見込みはあるのか?」
 呆気にとられている船員の代わりに、デュンクが尋ねる。
「私の効果器ならば、可能性はある」
 男は持っていた杖を示す。
「これは、唯一『死』の要素のみを操作可能な要素抽出式効果器だ」
 今度はデュンクが呆ける番だった。要素抽出式効果器とは、この世の森羅万象を決定する『要素』を抽出・操作するための効果器で、本来、武器として作られたものである。『要素』の中でも『死』の要素は、どこにでも存在するが、安定して操作することが極めて難しい。そのため『死』の要素を操作可能な効果器は、安定動作のために単一要素限定効果器として設定される。
 遭遇戦時には複数の『死』要素を抽出可能な効果器が製造されたとされているが、戦後は政府によって厳重に管理されているはずだった。
「要素抽出式非限定効果銃『十字架零式』。元々は移民船『アルクァ=ユドラバジュ』の外部兵装に使われていた概念回路を移植したものだ」
 男の言葉が終わって数分、デュンクは言葉を発することができなかった。滅茶苦茶だ。
 加えてこの男、一般人ではありえない。軍人か、政府の極秘任務を受けた役人か。能力も出所も桁違いの効果器を所持している理由はそれくらいしか考えられない。
「この船に、私たちのほかに神天族、神龍族は乗っているか? 私の補佐を頼みたい」
 男が尋ねると、ようやく意識を取り戻した船員は緊張の面持ちで答える。
「いえ、あなた方お二人だけです」
「そうか。では少年、君に頼みたい」
 男はデュンクと正面で向き合った。男の瞳は、美しいともいえる輝きを放ってはいたが、どこか冷めたような、達観ともいえる色をしていた。
「多くは望まない。私の指示通り動いてくれればよい」
 この男の言葉は、何故か癇に障る、とデュンクは感じた。
「何をすればいい?」
「できうる限り、無理ならば一箇所でもいい。船体に傷を付けられれば、そこから死の要素を拡大させ、機関を停止させる」
 男は、傍らの女性に向き直る。
「レプレ、船内の指示は任せる。場合によっては身分を明かしても構わない」
「わかったわ」
 「レプレ」と呼ばれた神兎族の女性は、やや緊張した面持ちで頷く。
 ふと、男が水平線の彼方を見やる。
「行くぞ、少年」
 男は六枚の翼を広げて飛び立った。速度に優れる細翼。同じ細翼でも枚数が多い分、デュンクよりも安定性がある。
「どうなっても知らねぇぞ・・・」
 デュンクも翼を広げ、デッキを飛び立った。

 杖の男とデュンクは、飛び立って十分で神無人の武装船と接触した。
 武装船の大きさは、対比物のない海上では正確にはわからないが、おそらく全長約30mほど。
 船自体は漁船のような外観だが、武装していることはすぐにわかった。杖の男とデュンクが近づくや否や、対空機銃を掃射し始めたのだ。
 神有人の肉体は神無人のそれよりは頑丈だが、重機関銃の弾丸に耐えることはできる筈もない。二人は散開し、それぞれに回避する。
 高速で飛行する物体、しかも人間のように小さな目標に弾丸を命中させるのは、狙ってもまず不可能。せいぜい弾をバラ撒いて弾幕を張るくらいしか術はない。
 しかしそれと同時に、デュンクたちとしても船体に近づくことは容易ではない。船体に近づけば近づくほど機銃の掃射幅は小さくなり、被弾しやすくなるからだ。
(傷付けるだけったって、近づけねぇんじゃ無理だろ・・・くそっ!)
 デュンクは心中で杖の男に毒づき、その間も忙しなく翼を動かして機銃弾を回避。
 彼の持つ座標打点式効果器は、狭い空間に強い効果を発生させる器具なため、遠距離の目標に対する攻撃は不可能。攻撃可能な距離は、せいぜい5mが限度だろう。
 ふと、デュンクの視界に杖の男の姿が入る。その飛び方には無駄がなく、機銃弾が彼を避けていくような錯覚さえ覚える。
(何だ、ありゃ・・・?)
 デュンクは、自分の見ているものが錯覚ではないことに気づく。
 本当に機銃弾が男を避けている。男の周囲を飛び交う弾丸が、柔らかな壁にでも当たったかのように進む向きを変えていくのだ。
 デュンクがまず思いついたのは効果器の使用。だが、男が十字架の杖以外に効果器を手にしている様子はない。
 デュンクが男の周囲に起こっている奇妙な現象に視線を奪われていると、翼の近くを機銃弾が掠めていく。だが弾は翼には当たらず、微妙に弾道を変えて飛び去っていった。
「こういうことか!」
 デュンクは回避運動をやめ、翼の、要素に対する影響力を最大にまで高める。絶好の的となった暗天に機銃弾が集中するが、それらすべてが自ら方向を変えていく。
 機銃弾が男を避けて飛ぶ理由、それは男が風の要素を操り、自分の周囲に空気の壁を作っていたためだったのだ。
 普段飛ぶときにも無意識のうちに起こっていた現象なのだろうが、平和な日常では気づきようのないことだった。
 デュンクは翼を一閃、急加速で武装船に肉薄をかける。機銃弾が雨のように放たれるが、空気の壁に阻まれてデュンクの体に当たることはない。
 そのまま甲板に降り立ち、機銃の死角に入る。そして効果器操作のための圧縮言語を紡ぐ。
『座標打点・・・範囲認識。効果、熱量操作』
 デュンクの周囲の空間が急激に気温を下げ、その分の熱量が効果器の刃に集まる。
 熱エネルギーの一部を、運動の方向を一方に指定して運動エネルギーに変換。熱エネルギーと運動エネルギーを持った刃が、対空機銃を台座ごと焼き斬る。
「見事だ、少年」
 男の声。いつの間にか甲板に降り立っていた杖の男が、その杖の十字架部分を機銃の焼き切れた面に触れさせる。
『要素抽出・・・範囲認識。要素種別「死」』
 圧縮言語が紡がれると同時に、船の微細な振動が止まる。機関が停止したのだ。
「さて、あとは乗組員の確保か」
 男が言葉を発するや否や、船室左右の扉から小銃を手にした数人の男たちが駆け出てくる。その姿はごく普通の作業服で、銃を手にしていなければ過激派とは見えない。
 男たちの指が引き金を引く前に、杖の男とデュンクは動いた。
 翼を使い約5mの距離を一秒かからずに詰め、そのままの勢いで男たちをなぎ倒す。
「船内を確認してくる。この連中を監視していてくれ」
 杖の男は、甲板に倒れている男たちを一瞥すると、船室内に入っていく。すぐさま銃声と打撃音。
 しばらくすると、何事もなかったかのように杖の男がロープを手に戻ってくる。
 倒れていた男たちを縛り上げ、船室に放り込むと杖の男は、微かに笑みのこもった視線をデュンクに向ける。
「協力感謝する。よくやってくれたな、少年」
「その『少年』ってのやめろよ。俺は暗天だ」
 ふむ、と男は頷き、言う。
「お互い名を知らぬままだったな。私は速天(ゾフォルト・エンゲル)。協力を感謝する、暗天君」
 デュンクはふぅ、と息を吐くと甲板に座り込み、そのまま寝転がる。硬く冷たい鉄板の感触が、今は心地よい。
「もう二度とこんな荒事はご免だぜ・・・」
「そうか、残念だな。君はなかなか動きがよい」
 と、ゾフォルトのわずかに落胆の混じった声。
「勘弁してくれ・・・。俺には豚の世話してる方が余程性に合ってるよ・・・」
 デュンクはそのまま目を閉じる。瞼の裏にはしろがねやぎん、くろがね、そして純の顔が浮かんでいたが、すぐに眠気に溶けて行った。


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