鍛冶師と少年

 喉を冷たい液体が通り抜けていく。
うまい。一仕事終えた後の一杯は最高だ。五臓六腑に染み渡るとはこのことか。
 とは言っても、牛乳なのだけれど。
 空は雲ひとつない快晴。気温も暑いわけではなく肌寒くもなく、初夏の心地よい風が吹いている。そう、思わず野山へハイキングでもしたくなるような日だ。
 僕はつい先ほどまで、暗く、薄ら寒く、しかもジメジメと湿った場所にこもっていた。何のため? それを説明するためにはまず、僕の職業から語らなければならない。
 ああ、申し遅れたけれど、僕の名前は「流珠」という。ながれだま、なんて読まないでよ? りゅうじゅ、だ。
 僕はルーンミッドガッツ王の発布した、冒険者募集に応募して冒険者となった。
 冒険者となった者は、まずノービス(初心者)となって、冒険者としての基礎を学ぶ。
 基礎知識を身につければ、剣士や商人、魔法使いなど各専門職に就くことができる。僕と同期のノービスたちも、基礎知識を身につけてそれぞれ望む道に分かれていった。
 通常、真面目に修練に取り組めば、一週間もかからずに初心者冒険者としての経験を積むことができる。だけど僕は、すでに半月以上ノービスのまま修練を続けている。
 あ、僕のことを物凄い落ちこぼれだと思ったね? お生憎様、僕はすでにノービスとしての技能はとっくに修めているし、冒険者としての修練もそれなりに積んでいる。
 もうすでに転職することができるのにノービスを続ける理由、それは

 はっ、と顔を上げる。木陰の居心地があまりにもいいもので、眠ってしまっていたらしい。
 ここは、ルーンミッドガッツ王国首都プロンテラの衛星都市イズルードから、船でほど近いバイラン島。
 冒険者の間では、海底神殿遺跡へ通じる洞窟のある島として有名だ。
 この洞窟は5層になっていて、各フロアには駆け出しの一次職から高レベル冒険者まで、レベルに応じたモンスターが棲んでいる。しかもここのモンスターたちは揃ってレアアイテムを隠し持っているとあって、常に人の出入りが絶えない、人気の高いダンジョンだ。通称はイズルードダンジョン、略してイズD。
 そのバイラン島の、船着場近くの木陰に座って休憩を取っていた、はずなんだけど。
 ふと、自分の視界に人がいるのが見える。僕と同じように木陰に座っている人が二人。
 一人はブラックスミス(=鍛冶師。BSと略す)の男性、もう一人はプロンテラ大聖堂の女性プリーストのようだ。
 そこに、通りがかった剣士が何事か話しかけている。剣士は、小さいが重量を感じさせる手つきで皮の小袋を差し出した。
 BSの男は小袋を受け取り、中身を確認すると金を手渡した。どうやら、鉱石か何かを買い取っているらしい。
 そこでふと、出がけに次兄に言われたことを思い出す。
「倉庫にある鉱石類、買取してるBSに売って置け。売った分はお前の小遣いにして構わん。それも冒険者としての経験だ」
 次兄の言った倉庫とは、カプラサービス社の倉庫サービスのことだ。使用料を払うことで、カプラサービスの倉庫を使用することができる。
 この倉庫が不思議な倉庫で、各街やダンジョン近くにいるカプラ職員だけが、倉庫への入り口を開くことができるというもの。仕組みはわからないけれど、僕は、便利だからまあいいや、という感覚で利用している。
 このバイラン島の船着場にも、カプラ職員はいる。早速倉庫への入り口を開けてもらい、中へ入る。
 倉庫の中は几帳面な次兄が整理しているので、どこに何があるかわかりやすくなっている。これが長兄だったらひどいものだろうけれど・・・
 鉄鉱石に、武器材料として使う鉄の延べ板、その他そこらにある鉱石類を手当たり次第に持ち出す。「倉庫にある鉱石類」としか言われてないのだから、何をいくら売り払っても文句はないはず。
 フフフ・・・これでしばらく遊ぶ金には困らない。
 両手に石や金属を抱え、男BSと女プリーストの元へ。
 男は、一見して怪しげな風貌だった。肩より長く伸ばした黒髪を後ろ結いにし、サングラスにヘッドフォン。一緒にいる女プリさんが誘拐されてきたと言っても不思議はない。
 僕が固まっていると、向こうから声をかけられた。
「ノビさん、買取ですかー?」
 両手に鉱石類抱えて、「違います」とも答えられない。ただ無言でうなずく。
「ではちょっと拝見しますねー」
 BSは地面に広げた敷き布の上で鉱石類を査定していく。ひょいひょいと、一見するだけで次の品を手に取るあたり熟練を感じさせる。
「鉄鉱石に、オリデオコン原石、と・・・エルニウム原石は買い取れないですねぇ」
 見た目は怪しいが、口調は柔らかい。
「あ、そうなんですか」
「武器製作には使わないのでー」
 鉱石なら何でもいいと思っていた・・・
「オリデオコンは武器の製作や強化に使う金属、エルニウムは防具の強化に使う金属なのです」
「なるほど」
 武器のみを製造するBSでは、エルニウムを使った作業はできないようだ。
「はい、じゃエル原以外買取でこのくらいで」
 買取不可のエルニウム原石と、現金を受け取る。予想通り、結構な額だ。
「じゃ、この証明書にサインを」
 冒険者同士で取引をしたことを証明する証書。お互いにサインをして、写しを受け取る。
 BSさんの文字は行書体の達筆で、頭文字の「源」という文字しか読めなかった。
「ノビさんはイズDでレベル上げですかー?」
「はい、転職まではここで狩るつもりです」
 それを聞いて、今まで黙っていた女プリさんが目をキラリと光らせる。
「ノビでイズDソロ狩りってことは、もしかしてスパノビ志望です?」
 スパノビ。それは「スーパーノービス」の略だ。
スーパーノービスとは、冒険者としては最初の職業であるノービスのまま修練を積み、認められた者だけが就くことができる特殊な職業。体力面や精神力の面で優れた特徴はないが、剣士、アコライト(聖職者)、魔法使い、商人、弓手、盗賊等、全ての一次職の技能を修得できるという、ある意味夢のような職業だ。もちろん、技能を使いこなすには転職後の修練が必要だが。
「はい、そうです」
 別に隠すことでもないので正直に答える。一般的にスパノビは趣味職という認識が強いが、何も臆することはない。
『おおー』
 二人同時に感心されると何だか照れる。
「転職まで大変な道だと思いますが、頑張ってくださいね」
 サングラスの奥の目が優しく細められているのがわかる。
「神のご加護を・・・」
 プリさんが掌を組み、神への祈りを捧げる。
『Blessing』
『Increase Agility』
 アコライト系職業のスキル、ブレッシングと速度上昇。戦闘をより有利にしてくれる支援スキルだ。
「ありがとうございます!」
「がんばー」
 二人に見送られ、僕は再びダンジョンへと向かった。

 速度上昇がかかっているため、自分の足取りが軽いのがわかる。これならサクサクとモンスターを狩れそうだ。
 前方に蠢く、腕の一抱えもあるような巨大イソギンチャク、ヒドラに目標を定めたときだった。
 腰に吊るした装置が小さく振動した。
 この装置はウィスパリングフォンという。大地の精霊が宿った石を組み込んだ装置で、特定の人物の名前を入力することで、離れていてもその人と話ができる機械だ。ルーンミッドガッツ王国の同盟国、科学技術の進んだシュバルツバルト共和国で作られたもので、冒険者に一個ずつ国から支給される。
 狩りの出鼻を挫かれたことにやや不満を募らせつつ、装置の小さな画面に表示された相手の名前を確認する。
『From:アイ』
 はて、見覚えの無い名前。そもそも冒険者を始めてギルドにまだ未加入で、知り合いらしい知り合いのいない僕にWISしてくる人は心当たりがない。
 いぶかしみながら応答する。
「もしもし・・・?」
『あ、先ほど買取させていただいたBSと一緒にいたプリですー』
 なるほど、と思う。取引証明書のサインを見てWISしてきたのだろう。
 と、同時に、さっきの取引に何か不都合があったのかと不安がよぎる。
「えと・・・取引で何か不都合でも?」
『いえいえ、その件は大丈夫です』
 ほっ、とすると同時にでは何の件なのかという疑問。
『実は先ほどのBSが、流珠さんに武器を作って差し上げたいと申しておりまして』
 一瞬意味がわからなかった。
「え? 武器?」
『はい。槍・斧・ナックル以外なら作れますよー』
 そこでふと、自分の中の欲高い部分が目覚めた。
これから先、スパノビとして冒険をしていく上で、BSが作る属性武器は必須。そして恐らく、首都からもほど近く、レアアイテムの宝庫であるこのイズDに足を運ぶ機会は少なくない。そうなると、イズDでほぼ全てを占める水属性モンスターに最も高ダメージが期待できる風属性武器を作ってもらうのがベストではないか。
「えーと、風属性の短剣って作れますか?」
『ええ、できますよ』
 やった、と小さくガッツポーズ。
『さっきの船着場で待ってますね』
「はい、すぐ戻ります!」
 果たして船着場には、さきほどと同じようにBSさんとプリさんが待っていた。
 ただ一つ違うのは、BSさんの傍らに置かれたカートに据え付けられた、小型の溶鉱炉が煙突から煙を吐いていること。
「お言葉に甘えて戻ってきました」
「ま、どうぞこちらに」
 地面に敷かれた座布団を薦められる。
「風属性の短剣ということですが、スチレは扱えますか?」
 スチレとはスティレットの通称。昔はスチールレートと呼ばれていたために、今でもスチレという略称がそのまま使われている。
「はい。今もスチレ使ってますから」
「OK」
 BSさんは熱を発する溶鉱炉の中から、真っ赤に熱せられた鉄を火ばさみで取り出した。
「んじゃアイ、お祈りを」
「はーい」
 プリさんが天に祈りを捧げ、神を賛美する歌を紡ぐ。
『Blessing』
『Gloria』
 それを合図に、BSさんの持つ金槌が、熱い鉄を打つ。叩いて伸ばし、再び炉で熱し、また叩く。
 見る間にただの鉄の板だったものは、短剣の形を成していく。
 大まかな短剣の形が出来上がったところで、BSさんが緑色の輝く石を取り出した。
 石なのだが、稲妻のような形をした、自ら光を放つ不思議な石。武器製作の際に鉄と共に打ち叩くことによって風属性を付与する石で、ラフウィンドというのだと後で知った。
 そこでまたプリさんが賛美歌を歌う。幸運を祈る歌だ。そして金槌が振り下ろされる。
カンカンッ・・・カキーン
 それまで完成に近づいていた短剣が、粉々になってしまった。
「あらら・・・失敗か」
 BSの作る武器は、そこらの武器屋で売っているものよりも強力だが、製造は必ず成功するわけではなく、特に属性石を入れた武器は難しいらしい。
「もう一回リベンジです」
 BSさんは苦笑しつつ新たな材料を炉に放り込む。
 そしてプリさんの祈りの後、再び製造挑戦。
カンカンッ・・・カキーン
 また失敗だった。
「あ、あの・・・難しいようですから無理はなさらずに」
「いえいえ、無理じゃないですよ」
 スチレ二本分の材料が無駄になったことなど全く気にしていない様子。
 そこでプリさんが、「あ」と何かに気づく。
「ノビさんの分のお祈り忘れてた」
「忘れるな」
 苦笑するBSさん。
 今度はBSさんだけでなく、僕にもブレッシングをかけるプリさん。製造依頼主の運も影響するのだろうか。
「三度目の正直、っと」
 完成寸前の短剣に風石を載せ、叩く。
カンカン・・・カンッ
 今度は砕けない。最後の一振りを受けると、剣身が鼓動のような光を放った。
水につけて一気に冷まし、剣身を引き締める。
「よっし、成功」
 小さなたがねと金槌で銘を彫り、柄を取り付けて完成。
「おめでとー」
 プリさんがぱちぱちと拍手。
 完成したスチレを受け取る。剣身がわずかに薄緑に輝きを放っているのは風石が混ざっているためだろうか。
「お役に立てれば幸い、大切にしてやってくださいね」
 僕はBSさんの言葉に、強くうなずいた。
「あっ、そのまま待っててください」
 ふと思い立ち、カプラ職員の元へ走る。倉庫が開くのももどかしく内部を探すと、目的の物はすぐに見つかった。
 青い水晶のような石、ミスティックフローズン。武器に水属性を付与する石だ。おそらく長兄がイズDの深部で拾ってきたもの。
 急いでBSさんの元へ戻る。
「これ、よかったら使ってください!」
これならばBSさんの仕事の役に立つはず。
「おー、買取させてもらいますね」
「いえ、武器のお礼です」
「お礼?」
 はて、とBSさんは首をかしげる。
「何のことです?」
「え? さっきのスチレ・・・」
「記憶にありませんねぇ・・・」
 事態が飲み込めず、手元の風スチレ、目の前のBSさん、その傍らのプリさんを順に見た。
 プリさんの表情は苦笑。
 合点が行った。なので僕は差し出した水石を引っ込める。
「お心遣い、ありがたく頂きます」
 その言葉にBSさんはにっこりと微笑んだ。
「どういたしまして」
 手元の水石は結局買い取ってもらった。たとえお金を受け取っても、彼の武器製作の役に立つことに変わりはないだろう。
「じゃあ、さっそくこの武器を試してきます」
「がんばー」
 プリさんの支援を受け、再び僕はダンジョンへ向かった。

 今日三度目のダンジョン内。相変わらず薄暗く、冷たいがじめじめとした空気が体を包む。
 前方に、先ほど狩り損ねたヒドラが見えた。ヒドラは岩にへばりついたまま移動はしないが、伸縮性のある触手で近寄るものを捕食する。
 向こうがこちらに気づいた時が戦闘開始だ。
 武器をしっかりと握り、一歩を踏み出す。と、同時にヒドラが僕の接近に気づいた。
 勢いよく触手が向かってきた。紙一重で避け、そのままの勢いで距離を詰める。
 迫る触手をスチレで弾く・・・つもりが斬り払った。予想以上の切れ味だ。しかも、ヒドラの体液に濡れた刃は、ちりちりと音を立てて雷光を放っている。
 本体に肉薄し、突きを見舞う。避け損ねた触手の攻撃が背を打つが、そのまま突き続ける。
 風属性を付与された刃は、突き入れるたびに雷光を放ち、疾風を生む。それがさらにヒドラにダメージを与えている。
 びくり、とヒドラが痙攣し、体液を流しながら崩れた。倒したようだ。
 僕は呆然と自分の手の内にある短剣を見た。いまだモンスターの体液に濡れながらも、先ほどの雷光と疾風は収まり、元のように静かに薄緑の輝きを放っているだけだった。
 今まで使っていた店売りの武器とは比較にならない。
 武器の威力を目の当たりにすると、途端に狩りへの意欲が湧いてきた。僕は洞窟の更に奥へ足を進めていった。

 喉を冷たい液体が通り抜けていく。
 うまい。一仕事終えた後の一杯は最高だ。
 相変わらず牛乳なのだけれど。一応酒を飲んでもいい歳になったのだが、僕の体は酒を受け付けないらしい。
 空は雲ひとつない快晴。夏の真っ盛りだ。肌を焼くような暑い空気はともかく、このよく晴れた空は、あの日と同じだ。
 あの後、僕はスーパーノービスに転職した。
 シーフの素早い身のこなしや剣士の回復力、剣の扱いを身に着け、転職前よりもはるかに強くなった。
 今も、あの時の風スチレは重要な武器の一つだ。あの後、何度か精錬して強度と鋭さを増しているが、薄緑色の輝きは変わらない。
 そして、柄をはずすとそこに刻まれている「源」一文字の銘も。
 あの人は、今もこの青空の下で、あの日と変わらずに武器を打っているのだろうか。

<了>


あとがき

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